海道五十三次四十九番目の宿場町・あいの土山!「本格・完全手打ち蕎麦」

 0748 67-0418


滋賀県甲賀市土山町前野138-6
玄鹿は9月が操業記念月です。

玄鹿は9月が操業記念月です。

今日から9月・玄鹿の操業月です!

手打ち蕎麦 玄鹿 は、平成18年9月16日が操業開店日でした。
御客様、スタッフ、地域の皆様のお蔭様で9月17日から10年目の営業に入らせて頂きます。深い感謝の気持ちで一杯です。

思い起こせば私が52歳の時に健康診断で胃がんが見つかり三ヶ月の手術入院自宅療養を経験した間に、大層にに云えば自分の人生を見つめ直す時間を得た事が今の私の立ち位置に繋がって居ます。
前職のサラリーマンの43歳の時から5年間出向していた滋賀県内の同業者14社で発足させた協同組合も発足から5年が経過し、何とか形が固まってきたので、設立当初から組合を代表する理事長の会社の社員として運営を軌道に乗せるべく使命を受けての出向から解放されて、48歳で三重県四日市に責任者として転勤に成り、工場の設備規模を其れ迄の5倍近くに増強して、売り上げ規模も其れに相応させて、其れまでは採用していなかった地元採用の人材も採用育成する下地が、やっと固まりつつ有る時期でした。此れを安定継続するように頑張らなければ成らない時期でしたので、長期入院療養は内心、非常に焦りました。
手術入院中は三重の会社の状況ばかりを気にしていましたが自宅療養の期間約一ヶ月は体重は手術前の68キロから48キロと約20キロも減りまして元の体重には戻りませんでしたが、ダンピング症状という術後副作用もだんだんと治まり体力も気力も回復してくると、自分の人生に付いて考える様に成りました。その頃の会社の定年は一応60才だった事と、得意先の大手道路会社が所謂、建設不況で各社でリストラが盛んに実施されで知り合った同年代の連中が指名解雇的な憂き目に合って行く知り合いの状況を目にして、サラリーマンとしての先々を漠然と考える様に成りました。60才までの約10年間の過ごし方がその後の人生を決めると想い、取り敢えず熱中出来る趣味を見つけようと想い其れまでは興味も無かった「蕎麦打ち」をネットで見つけた関西蕎麦塾という会に入れて貰って月に一度の頻度で先輩講師から教えて貰ったりボランティアで行った各地の蕎麦打ちイベントに積極的に夫婦共々参加して、素人そば打ち段位認定制度にもチャレンジして2段位まで取得しました、此の期間の自由に成る休日は、雑誌やネットに載ってるお店へ食べに行ったり仕事で外回りする時も時間を造って各地の蕎麦屋さん巡りをしました。そんな中で思ったのが中々自分の舌と雰囲気に合う店に出会えないという想いでした。有名店でも「うん~?」と言う自分の口や求める雰囲気に合わない店が結構多くて再訪したく成る店は本当に数店でした。

気に入ったお店を良く観察してみると、

★ お店らしく無い普通の民家の様な店構え。

★ 夫婦で営んでいる。

★ 変に拘り過ぎて無いがコンセプトがはっきりしている。

等の共通点が有りました。
蕎麦の事を知れば知る程に「自分で店を遣ってみたい」という思いが日増しに強く成り、その頃から実現できるか?どうかは解からないが一応の目標としてプロに成った場合の自分を想定して勉強する様に成りました。その時点の目標は「夢の道・焦らず・慌てず・諦めず!」に置いて準備視点で研究を始めました。
実際に店を開店させるまでの間には、障害となる事も多少は有りましたが母親の脳梗塞の副作用によるアルツハイマー型認知症が酷く成って来て、介護に手の掛かる頻度が増してきた事と二人の娘が卒業して社会人と成って勤めていた事、そして仕事では名古屋市内に新たに支店を開設して中部地区の拠点を構えた事に成果が出始めた事、中部国際空港新設関連工事や愛知万博関連の工事物件に其れまでの数年間で培った得意先への工事協力業者としての地位も出来て大型物件を受注できる様に成り、東海北陸道、東海環状、伊勢湾岸道、知多半島横断道路(中部空港アクセス道)愛知万博会場整備工事、名古屋高速新設や改修工事などの大型物件を下請け協力会社として受注し、其れなりの実績を上げる事が出来てきましたし、地元採用した学卒社員数名も一人前に育って呉れたと自己評価できる様に成って自分の中で決意がつきました。、家内を説き伏せるのに1年近くの時間が要りましたが何とか?説き伏せて会社に辞表を提出し、其れから約1年経過した3月末日で円満退社して半年間の準備期間の間に隣に所有して空き家に成っていた家を必要最小限度の範囲で店舗とし改装したりの諸準備に取りかかっている時に滋賀時代の得意先だった会社のオーナーから強く請われて土曜、日曜、祝祭日は蕎麦屋を営みながらの勤務条件で二年間その会社に勤めました。結局その会社は累積の負債に耐えきれずに倒産しましたが、二年間の勤めの中で最初の一年で社の状況を研究すると、とても厳しい経営状態で銀行からも見放されている状態だったので、入社して2年めからの一年間は、如何にソフトランデイングさせて廃業させるに焦点を絞って倒産準備を密かに進めました。①従業員の再就職先の確保②オーナーが借金取りから追いかけられない様な負債の始末③個人や中小の仕入れ先へは不払いを起こさない④請け負った仕事の完成と検査合格引き渡しを、最低条件に据えて事を進めて3月末日で何とか先の目標4点を保々完全にクリアーして会社を閉めました。勿論借金は残りましたが全て担保物件を差し出してる金融機関にのみ迷惑を掛けるという範囲に収まりました。
私自身は4月からの二か月間は自宅で会社の残務処理を一人でこなして全てを終えた時点から二足の草鞋を脱いで蕎麦屋に専念する事に成りました。其れからが私の第二野人生専業期の始まりです。

開業10年目を一応の区切りとしてサラリーマンから蕎麦屋に転職するまでの経緯を整理してみました。

開店してからの色々な出来事や想いは改めて後述させて頂きます。

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